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水上勉のエッセイ『働くことと生きること』

小説家 水上勉の書いたエッセイに『働くことと生きること』(集英社文庫)という一冊があります。彼の仕事遍歴を通じて感じたこと、得たことを綴ったものですが、とても読みやすく私たちが「しごと」を考える上でとても良い題材を提供してくれます。

 

「越前竹人形」「飢餓海峡」「はなれ瞽女(ごぜ)おりん」などの名作がある水上勉は少年時代の寺の小僧の修行から始まりさまざまな職業を経験しました。そこに生きる人間模様、そして仕事の誇りや幸福とはなんだったのか、見事に描き出しています。

 

営業マンや役所勤め、新聞記者などと並んで「代用教員」の章が印象的です。戦前の学校では教員になるためには師範学校を卒業する必要がありましたが、教員が足りない場合も多く、その際は今でいう非常勤講師のような「代用教員」という人たちが子供たちを教えました。代用教員には正式な資格は不要で、旧制中学を卒業していれば比較的簡単になれたようです。

水上は代用教員として福井県のある辺鄙な場所で小学1年生から4年生まで4学級分を一教室で行う複々式授業を担当するのですが、1学級を1時間教えるのとは違う難しさがある中で数多くの新鮮な発見をします。

“同じクラスの中には兄弟もおり、姉は弟の、弟は姉の授業ぶりを見ている。そして家へ帰っても予習復習を一緒にやる。親に告げ口されぬようがんばるのだが兄弟姉妹が競争心と自立心を養った。

4学年が一緒にいるので4年生中心に授業を進め、他の学年の子は書き取りや習字をする。そうすると低学年の子が4年生の国語が読めるようになる。そしてその子が村の分教場から本校へ移ると優秀で級長を務めたりする。

分校の複々式授業は4年間4年生の見聞で学力を持つ、私はこの不思議な成果について教育学者や研究者が何ら論文を発表していないことに驚く。“

 

そして最後に結びます。“教育基盤を均等にすることや環境をよくすることのために辺境や辺地の分校をなるべくなくして不便をなくすことだけを考えてきた戦後の教育界が取りこぼしてきたことがあるのではないか。”と。