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コロナ 我慢と発散の間で

新型コロナウィルス感染対策で、3密の回避や会食の自粛など、さまざまな人々との接触や交流が自由にできなくなって1年半を越えようとしています。社内の仕事のみならず、対外的なあいさつや営業の訪問、打ち合わせや交渉の会議すらもリモートで行われるようになり、むしろそれが標準となりつつあるかのような動きもあります。

 

面対する人間関係と比べた、オンラインやリモートでの欠点や不足要素の話題はさまざまに論じられていますのでここでは取り上げませんが、これだけ感染防止対策期間が長引き、また先が見通せなくなってくると、もう疲れた、我慢できないという飲み会のように発散する方向の強い動きと、一方で、もう昔のような交流はできない、同窓会やOB会は今後消滅し、海外旅行は過去のものだというような閉塞感情も生まれてきているように思います。欲求不満解消と無力化です。

とりわけ大学を中心とした対面授業の長期中止や極小化、学会や研究会の延期、休会などや多数の人々を対象とした講演会やイベントは本格的な復活のきざしがなかなか見えません。

最近身の回りで感じるのはメールのレスポンスが遅い、無い、といった鈍さや、生活行動の必要以上の萎縮です。これらは解消しないものなのでしょうか、それとも事態が打開されれば一気に息を吹き返すのでしょうか。

 

 

私は、この閉塞した環境の中でもなんとか人と人の関係を継続させようという試行錯誤やもがきのようなものがないと消滅に向かっていくのではないかと危惧しています。オンラインでもコミュニケーションを取り続ける、少人数で屋外ででも集まる、メールや電話で近況を交換する、などといった小さな作業のことです。人は接触する回数が減れば疎遠になり、ますますコミュニケーションのチャンスが失われていきます。この制約の中で、細々とでもどんなことができるのかを考え、工夫して積み重ねていくことが大事だと思っています。